新人類 -wikipedia
おぼろげながら、自分の年代を「バブル世代」と錯覚していたが、どうも違っていたようだ。
「バブル末期に一世をふうびした伝説のディスコ「ジュリアナ東京」が9月6日、一夜限りで復活した。」というニュースに(以下引用)
14年ぶりにジュリアナで踊ったという埼玉県川口市の主婦、中山典子さん(39)は、「当時のことがよみがえり、体が思ったより動いて2時間踊り続けた。とても楽しかった」と、すっきりした様子で汗をぬぐっていた。
とあるが、自分より11歳も下の人がバブル世代なんだなぁと実感した。
そういえば、当時は、急激な右肩上がりの土地をころがし続けた不動産業、それに連動するように上がり続けた株の売買を歩合制で行って、億単位の年俸を稼ぎ出していた証券会社のOLを覚めた目でみる自分がいた。そのころ時の内閣総理大臣は竹下登、ふるさと創生プロジェクトで1億円を地方にばら撒いたりしていた。そんな日本がいやでいやで仕方が無かった。自分が高・大生の頃、「びっくりハウス」という雑誌があった。創刊時は渋谷のタウン誌だったこの雑誌は、期待を裏切りまったく違った雑誌として成長してしまった。「ビックリハウスは、なにがビックリだったのか text by 水本犬太郎」に『別冊宝島 雑誌狂時代(1997年)』掲載の記事が転用されているが引用すると、
『ビックリハウス』の読者は、この雑誌を買ったことで、一銭たりとも渋谷の街で消費支出を行わなかったはずだ。
とにかく、金をかけずに手間をかけること、下らないことを心底楽しむこと、チープで面白いことを偏執的なまでに追求すること。それが『ビックリハウス』の美学だった。そういうことを別の言葉では「企画力」という。雑誌づくりに企画力が必要なのは当然だが、『ビックリハウス』はその企画力のパワーだけで作られていたといってもいい。
しかし、金をかけず、手間をかけてものごとを楽しめるには、特異な才能を要する。それが可能なのは、実際「金をもっていない」人間で、暇な人間だけだろう。そして、その条件に当てはまったのが、十代の中学生、高校生だった。『ビックリハウス』は、その世代を中心とする読者たちの投稿によって成立していた。
と書かれている。赤字で示した所が、私たち「新人類世代」の根底に流れているものがバブル世代との決定的違いだとおもう。
当時、編集長の高橋章子は、YMOの世界ツアーに参加し、後に坂本隆一の妻となった矢野顕子とともにサブカルチャーの女性のカリスマ的存在だった。『ビックリハウス』は現在の『ニコニコ動画』に通じるものがある。ニコニコ動画で「才能の無駄使い」というタグで検索してみれば、「『ビックリハウス』の美学」を見つける事ができる。ちょっと前はアップローダーや書き込みに画像を添付して投稿するなどして、2ちゃんねるのニュー速vip板で「才能の無駄使い」は行われていた。「それが『ビックリハウス』の美学」ならぬ、「それがvipクオリティ」と言われていた。ビックリハウスとvipクオリティ(vip板を媒介としたflash作品など)とニコニコ動画は、媒体が紙→静止画やflashやmidi→動画 と変っていっただけでその根底にながれる精神は同一である事に気付く。金のにおいに引かれゴージャスの飽くなき追求をしたバブル世代とは全く相容れないものである事が分かる。
年甲斐もなくニュー速vip板に常駐し、ニコニコ動画は立ち上げ当初の「ニコニコ動画(仮)」から楽しんできた。今でもニコニコ動画を閲覧している時が自分の一番の至福の時であるが、今その原因が分かったような気がした。
バブル世代だと思い込んでいた自分は、実は「新人類世代」であり感性も発想も価値観も違うのだと悟った。「ゆとり世代」がとてもしっくりくるのである。
なんか、この古雑誌サイトにラインナップがあるが、表紙全部覚えている!テラナツカシス(´;ω;`)
そんな新人類な私が若い頃どのような人々と付き合ってきたか、このブログでおいおい書いてみようとおもう。
src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">
ジャンル:サブカル テーマ:シュールイラストによる衝撃!!
2008⁄09⁄07 10:53 カテゴリー:50歳が懐かしい物 comment(0) trackback(0)
おぼろげながら、自分の年代を「バブル世代」と錯覚していたが、どうも違っていたようだ。
「バブル末期に一世をふうびした伝説のディスコ「ジュリアナ東京」が9月6日、一夜限りで復活した。」というニュースに(以下引用)
14年ぶりにジュリアナで踊ったという埼玉県川口市の主婦、中山典子さん(39)は、「当時のことがよみがえり、体が思ったより動いて2時間踊り続けた。とても楽しかった」と、すっきりした様子で汗をぬぐっていた。
とあるが、自分より11歳も下の人がバブル世代なんだなぁと実感した。
そういえば、当時は、急激な右肩上がりの土地をころがし続けた不動産業、それに連動するように上がり続けた株の売買を歩合制で行って、億単位の年俸を稼ぎ出していた証券会社のOLを覚めた目でみる自分がいた。そのころ時の内閣総理大臣は竹下登、ふるさと創生プロジェクトで1億円を地方にばら撒いたりしていた。そんな日本がいやでいやで仕方が無かった。自分が高・大生の頃、「びっくりハウス」という雑誌があった。創刊時は渋谷のタウン誌だったこの雑誌は、期待を裏切りまったく違った雑誌として成長してしまった。「ビックリハウスは、なにがビックリだったのか text by 水本犬太郎」に『別冊宝島 雑誌狂時代(1997年)』掲載の記事が転用されているが引用すると、
『ビックリハウス』の読者は、この雑誌を買ったことで、一銭たりとも渋谷の街で消費支出を行わなかったはずだ。
とにかく、金をかけずに手間をかけること、下らないことを心底楽しむこと、チープで面白いことを偏執的なまでに追求すること。それが『ビックリハウス』の美学だった。そういうことを別の言葉では「企画力」という。雑誌づくりに企画力が必要なのは当然だが、『ビックリハウス』はその企画力のパワーだけで作られていたといってもいい。
しかし、金をかけず、手間をかけてものごとを楽しめるには、特異な才能を要する。それが可能なのは、実際「金をもっていない」人間で、暇な人間だけだろう。そして、その条件に当てはまったのが、十代の中学生、高校生だった。『ビックリハウス』は、その世代を中心とする読者たちの投稿によって成立していた。
と書かれている。赤字で示した所が、私たち「新人類世代」の根底に流れているものがバブル世代との決定的違いだとおもう。
当時、編集長の高橋章子は、YMOの世界ツアーに参加し、後に坂本隆一の妻となった矢野顕子とともにサブカルチャーの女性のカリスマ的存在だった。『ビックリハウス』は現在の『ニコニコ動画』に通じるものがある。ニコニコ動画で「才能の無駄使い」というタグで検索してみれば、「『ビックリハウス』の美学」を見つける事ができる。ちょっと前はアップローダーや書き込みに画像を添付して投稿するなどして、2ちゃんねるのニュー速vip板で「才能の無駄使い」は行われていた。「それが『ビックリハウス』の美学」ならぬ、「それがvipクオリティ」と言われていた。ビックリハウスとvipクオリティ(vip板を媒介としたflash作品など)とニコニコ動画は、媒体が紙→静止画やflashやmidi→動画 と変っていっただけでその根底にながれる精神は同一である事に気付く。金のにおいに引かれゴージャスの飽くなき追求をしたバブル世代とは全く相容れないものである事が分かる。
年甲斐もなくニュー速vip板に常駐し、ニコニコ動画は立ち上げ当初の「ニコニコ動画(仮)」から楽しんできた。今でもニコニコ動画を閲覧している時が自分の一番の至福の時であるが、今その原因が分かったような気がした。
バブル世代だと思い込んでいた自分は、実は「新人類世代」であり感性も発想も価値観も違うのだと悟った。「ゆとり世代」がとてもしっくりくるのである。
なんか、この古雑誌サイトにラインナップがあるが、表紙全部覚えている!テラナツカシス(´;ω;`)
そんな新人類な私が若い頃どのような人々と付き合ってきたか、このブログでおいおい書いてみようとおもう。
src="http://pagead2.googlesyndication.com/pagead/show_ads.js">
ジャンル:サブカル テーマ:シュールイラストによる衝撃!!
2008⁄09⁄07 10:53 カテゴリー:50歳が懐かしい物 comment(0) trackback(0)
« 「新人類」という言葉を広めたのは筑紫哲也らしい | ホーム | AMAZONで一位のインスタントコーヒー »
trackback URL:
| HOME |





